愛が永遠である理由。

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ
ジョン・キャメロン・ミッチェル監督/2001/米/原題:Hedwig and the Angry Inch

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

この映画のメインテーマとも言える「Origin of Love (愛の起源)」。

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Origin of Love (愛の起源)

その昔 地球は平らで 雲は火で出来ていて
山は空へと伸びていた なお高くへと
転がる樽のように 人は地を這ってた
腕が2組 脚も2組 大きな頭に顔が2つで 周囲が ぐるり見渡せた
読みながら話もできたけど 愛は知らなかった
まだ愛が生まれる前のこと

愛の起源

人には3つの性があった
男と男が背中あわせ その名は"太陽の子"
それと似た形の"地球の子"は 女と女が背中あわせ
そして"月の子"はフォーク・スプーン 太陽と地球 娘と息子の中間

愛の起源

神は人を恐れた 人が力をつけすぎたから
雷神トールは言った "槌で殺しましょう"
そこへゼウスが止めに入り "稲妻で切り離そう"
"クジラの脚も切り 恐竜もトカゲに変えた"
彼は稲妻を取り 笑って言った "切り離してやる 真っ二つにな"

みるみる雨雲が集まり 火の玉となった
火の玉から―――地上に稲妻が放たれた
ナイフの刃のように それは体を引き裂いた 太陽と月と地球の子の体を
インドの神が傷口を縫いあわせ 腹で糸を結んだ それは見せしめ 罪を忘れぬよう

愛の起源
こうして愛は生まれたよ

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この「人間はかつて背中合わせの一体であったが、神によって引き裂かれ、
だから人はみな、失われた半身を求めるのだ」という話は、
プラトンの「饗宴(シュンポシオン)」にも出てくる。
ただしそれは、「男女がひとつだった」というものだ。

上の歌には、男と男が背中合わせの"太陽の子"、女と女が背中合わせの"地球の子"、
男と女が背中合わせの"月の子" という3つの性が登場する。
それはこのミュージカルが、
ゲイやレズビアンなどの性的マイノリティを主人公にしているからだ。


当然のことながら、
「人類はかつて背中合わせの一体だった」というような科学的事実は無い。
そのような化石は見付かっていないし、
進化論でも創造論でもそんなことを主張する学者は居ない。

しかしこの話には、なぜか何かしらの説得力を感じる。
誰もがいつか、かつての自分の半身に出会えるのではないかと、期待しながら生きている。

それはきっと、僕らは喪失感と罪悪感を持ちながら生まれ、
今も、切実に誰かを求め、寒さに耐えながら旅をしているからだ。


そう、僕らはかつて、ひとつだったのだ。
本来暖かいはずの愛の物語が、なぜこうも哀しく、切実で息苦しいのか。
なぜ心の底を貫く痛みを伴うのか。
それはかつて僕らが引き裂かれたからなんだ。

神は僕らを引き裂き、同時に愛を与えた。
痛みに耐えながら、"かつて自分だったもの" を探す旅に出る。
窓の外から、
ホイットニー・ヒューストンがヒットさせた「I Will Always Love You」が聴こえてきて、
ヘドウィグとトミーは、以下のような会話を交わす。

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愛は永遠に続くと思う?
――この歌は続くわ。
ヒット曲をケナした。
――ヒットが何よ。
高音が出てる。
――3日間も歌ってりゃ出るわよ・・・(気を取り直して)そうよトミー、愛は永遠だわ。
君は何てことを・・・(と歌おうとして)ファック!まるでダメだ。なぜ永遠?
――分からないけど―――愛は造りだすのよ、新しい何かを。
たとえば?子供とか?
――それもあるわ。
セックス?
――何よさっきまで泣いてたカラスが・・・たぶん―――愛は創造よ・・・。
・・・。

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人間は不完全で、有限な存在だ。
だがそれでもなぜか、「愛だけは永遠である」と直感している。
不完全で有限な人間が、なぜ永遠の愛を持てるのだろう?

世界が完全だった頃、まだ愛は無かった。
愛は身体が引き裂かれ、世界が半分になった時に生まれた。
だから再びひとつになった時、愛は消えるだろう。
理屈としてはそうだ。

しかし、僕らは二度とひとつに戻ることはない。
永遠に不完全なまま、元の半身を求めて地上を彷徨う。

そうだ―――だからこそ、愛は永遠なのだ。
人間が不完全で、有限な存在であるからこそ、その愛は永遠なのだ。

神は人間引き裂き、それと同時に愛を与えた。
果してそれは神の罰だったろうか?それとも恩寵だったろうか?