ホラーショなグブリ話をしよう。

時計じかけのオレンジ
スタンリー・キューブリック監督/1971/米/原題:A Clockwork Orange

時計じかけのオレンジ [DVD]

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ハイハイハーイ、ドルーギー?ホラーショなグブリ話をしよう。
ラズードックスして聞いてくれ。ライトライトライト?


この間、俺の部屋でデボチカとイン・アウトしてたんだ。
カッター銭が無いからアルトラして連れて来てさ。
口から汚いクルービーが出ていたが、気にするもんか。
ノズをビディーさせて、トルチョックしたらすぐに静かになったぜ。


こっちはもうスタージャ行きは無いからな。
ミリセントのヤーブロッコも、みんなドルーグだし怖いもんなしだ。
イン、アウト、イン、アウト。最高にホラーショで、スルージーだったぜ。


しかしそこでルードウィヒのウォーブルが流れてきたんだ。
完治したと思ってたんだが、すぐにガリバー痛がしてきた。
気付いたら病院のベッドでスパチカねんねしてたって訳さ。


アピ・ポリ・ロジー。俺のグブリ話、ドゥービドゥーブ出来ないかったか?



映画の登場人物たちはこんな「ナッドサッド語」で話している。
ナッドサッドとは、「若者」という意味だ。
「若者の言葉の乱れが著しい」なんてことがよく言われるが、
言葉というのは本来そういうものだ。


言葉というのは、避妊に失敗して出来た私生児のように、
いつも「間違った子供」として誕生するよう運命づけられている。
「OK」という言葉は、「All Correct(全て正しい)」の略語として生まれた。
言うまでもなく、「All Correct」の略は「AC」だ。
しかし、だからといって「OK」が間違った言葉だと言う人は居ないだろう。


「間違った言葉」も、違和感に堪え、人口に膾炙することで、
いつしか「新しい言葉」として登録される。


「悩ましい」という言葉は、「難しい問題で、考えさせられる」という意味になりつつある。
「すべからく」という言葉は「全て」と同じ意味を持とうとしている。
「真逆(マギャク)」や、「フインキ」や、「逆ギレ」が広辞苑に登録される日も
そう遠くはないはずだ。
小数の人がいくら「間違ってる!」と叫んぼうが、
話し手と聞き手の意志が疎通できてしまった時点で、その言葉は「正しい」のだ。


学者が論文に書いたり、
女子高生たちが流行らせたり、
コピーライターが捻り出したり、
外来語を取り入れたり、
従来の言葉と組み合わせたり、
翻訳したり、
逆輸入したり、
同じ言葉に違う意味を託したり、
タイプミスや誤変換を契機にしたり、
様々なシーンで新しい言葉は生まれる。


「間違った言葉」が、「間違っている」ということを理由に否定されるのであれば、
僕らはいつまで経っても新しい言葉を手にすることが出来ない。


※「あたらしい」も誤読から生まれた言葉だ。
 本来「あらたしい」と読まれていたのだ。


現代の言葉が乱れていると歎くならば、一体いつの時代の言葉に戻ればいいのだろう?
三島の時代か?漱石の時代か?源氏物語か?古事記か?
何を選んでもそれは恣意的で、ただ好悪の問題に過ぎない。


新しい物語や、新しい社会制度は、いつも新しい言葉の創造を要請する。
新しい言葉が生まれる場所は、文学から新聞、ラジオ、映画、テレビ…と移り、
今はインターネット上で多くの言葉が作られるようになった。


新しい言葉が生まれるには、「言葉の間違いがある程度許容されている」ことが必要となる。
2ちゃんねるでは、タイプミスや、誤変換、言葉の誤用を指摘するのは
野暮なことだとされている。
いちいち言葉の間違いを指摘していたらデータ転送量が増えてしまうし、
第一、話が先に進まない。
そうして今日も、大量の新しい言葉が産声を上げている。


そんな訳で、僕は出来る限り他人の言葉の間違いに寛容であろうと努力している。
上のナッドサット言葉を、「正しい言葉」に認定することにもやぶさかではない。
そんな訳でみなさん、僕が言葉を間違えても、あんまり責めないでね。
ライトライトライト?