各辺の比が 1:4:9 の直方体。

2001年宇宙の旅
スタンリー・キューブリック監督/1968/米/原題:2001: A Space Odyssey

2001年宇宙の旅 [DVD]

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人間の可視光線は、波長 360〜830nm という、ほんの一部分の電磁波に過ぎない。
それ以外の紫外線や赤外線は全て、人間の目では捕えることが出来ない。
可聴域も同じように、ある特定の周波数に限定されている。
人間には、クジラやゾウの鳴き声さえ完全な形で聴くことが出来ないのだ。


僕らは、自分たちで見ることが出来る範囲だけでモノを見て、綺麗だの汚いだのと騒ぎ、
自分たちで聴くことが出来る範囲だけで音を聴いて、美しいだのうるさいだの言っている。
勝手なものだ。


また、人間の寿命は限られている。身体のサイズもある狭い範囲で限定されている。
僕らは実は、意識することも出来ないような制約の中で生きているのだ。



僕が今まで見てきた SF 映画には、「宇宙人」や「地球外生命体」が数多く登場した。
彼らは地球人を襲ったり、食ったり、連れ去ったりした。
しかし僕はそういう映画を観る度にある違和感を覚えていた。


人間は宇宙人や地球外生命体を、何となく「怖い」と思っているが、
それは「地球人を襲ったり、食ったり、連れ去ったりするから」ではない。
彼らとの遭遇がきっと、言語化することも不可能な超越的体験であるからだ。


一つの細胞が宇宙の大きさを超えるような超巨大生命体が居たとしたら?
寿命が100万分の1秒に満たないような知的生物が居たとしたら?
僕らは彼らに出会っても、彼らがそこに居るということを知覚することさえ出来ない。
僕らの感覚器は彼らとコミュニケーションを取るどころか、認識すらできない程に鈍感なのだ。



1853年、マシュー・ペリーが4隻の軍艦で浦賀に入港した。
当時の日本人にとって、彼の言葉、姿、持ち物、要求は全て理解を超えたものだった。
彼らが何かを言っていることは分かる。自分たちに何かを要求していることも分かる。
しかし、何を言って、何を要求しているのかが分からない。
そのメッセージが、自分達の住んでいる世界の外側から発せられたものだからである。
分からないものには拒否することも、闘うことも出来ない。
ただ、不安に駆られて恐怖するだけ。
宇宙人や地球外生命体との邂逅は、きっとそのようなものであるはずだ。



2001年宇宙の旅」は、そのような非言語的な体験を表現しえた、希有な映画である。
この映画を観て、誰もが「訳が分からない」、「気持ち悪い」、「怖い」と感じるのは、
世界の外側との交流を疑似体験しているからに他ならない。
モノリス―――各辺の比が 1:4:9 の直方体―――の中に鎮座する新たな神。
―――僕らは吐き気と頭痛に堪えながら、それを畏怖している。