木を見るのも、森を見るのも同じこと。

藤沢周死亡遊戯」1994

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

死亡遊戯 (河出文庫文芸コレクション)

「寒いっしょ、社長!どうです!
 中で熱いシャワー浴びて、若い女の子のタワシでヌルンヌルン。最高っすよ。
 今日は入りたての子いますから、色々教えてやってくださいよ。
 何やっても、それ、あたりまえと思っちゃうんすから。
 3番の明菜、指名でいけますからね。マジな話。
 昨日までマクドナルドでバイトしてた女の子。スマイル、フリーってやつですよ。
 うちにくりゃ、オマンコ、フリーになっちゃうわけですけどね。
 冗談抜きで二万円ポッキリ。ああ、社長、ただ、縛ったりとかいうのは駄目よ。
 あと、自分について喋るのもね。ひとことでも駄目。
 特に、形容詞の使い方に気をつけてよ。
 ここで自分のこと話してもバカだと思われるだけっすから。
 あのー、何だっけ、数学の、ほら、あれです、微分
 とにかく微分しながら喋ってくれればいいから。
 そのくらいの覚悟がなきゃ、ねえ、お客さん。
 ほんじゃ、社長!ひとつ、いきますか、現役青学ギャルの生尺おしゃぶりハリキリぶり。まかせてちょうだい、四〇分、口内射精OK!」


歌舞伎町を徘徊する、ポン引きたちの危険な生態を描いた小説。
恥ずかしながら、この年になってもこういう世界にはまるで疎い。
何年か前の誕生日の日、地元の友達に成増のキャバクラに連れて行って貰ったのが、僕にとって唯一の性風俗産業体験である。
歌舞伎町に行ったって、ポン引きさんの話なんかまともに聞いたことがないのだが、彼らは本当にこういう風に客引きをしているのだろうか。


このポン引きは、話すときには以下の点に注意するよう言っている。


・自分のことは喋らないこと。
・形容詞の使い方に気をつけること。
微分しながら喋ること。


この親切なポン引きは、とても重要な警告を与えてくれている。
何故なら僕らは気を抜くとすぐに自分のことばかり喋ってしまうし、誤った形容詞ばかりを使い、また、気が付くと積分しながら喋ってしまうからだ。



微分」とは、曲線の接線の傾きを求めることである。
関数の値が分からなくても、微分した結果さえ分かっていれば、その曲線が上向きになっているのか、下向きになっているのか分かる。
乱暴に言えば、細部を知ることで、全体を把握することができる、ということだ。


「木を見て森を見ず」という言葉ある。
小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことを諌めて言う言葉だ。
しかし、本当に注意深く観察することを怠らなければ、僕らは木だけを見ていたって、森全体を知ることが出来る。
それどころか、葉っぱ一枚を見て、宇宙全体を感じることだって出来るはずだ。


葉脈はどのように走っているのか。
どのように成長して、どのように殖えていくのか。
エネルギーはどこで生産され、どこへ運ばれていくのか。


ちゃんと見れば、葉っぱ一枚のシステムが、木全体のシステムの相似形であることに気付く。
そしてそれは森全体の縮図であり、同時に宇宙全体のフラクタルになっていることも自ずと知れる。


世界が高次元のフラクタル(自己相似形)で出来ているのならば、その縮尺に注意を払う必要はない。
電子顕微鏡で見たって、衛星写真で見たって、まったく同じ形をしているからだ。
きっとこの世界は、コッホ曲線や、マンデルブロ集合のような美しい形をしているはずだ。
木を見るのも、森を見るのも同じこと。神は細部に宿っているのだ。

裏ビデオ屋の黄色のネオンが泳ぎ出す。
その中を屈折しながら赤い文字の斑点が遅れてついていく。小さな奔流。
そしてまた、バーの青いネオンが水銀のように歪み伸びて紛れ込んでくる。
ちぎれ、離れた楕円の青い踊りが上へ素早くすべると、道を歩く女の黒いストッキングに融ける。
太い雷魚の腹のような太股。
細かく帯状に光る、その膨れ上がった卵からは、夥しい数の光る魚たちが水中に放たれる。
葉脈のような骨を透かせた魚の群れ、多くのネオンを吸ってガラス繊維のようにきらめく。
メタルの匂い。光の音。女の穴に指を突っ込み、それを水中にかざして振る。
もやもやと白い煙がゆっくりと昇り、広がり、水を濁す。
その雲の凹凸の谷の中へやがて男は潜り込む。
しばらくして、中でもんどり打ち始めるのがその煙の塊の動きで分かる。
痙攣するように雲のあちこちが噴き、そして、ゆっくりかき消える時、脱力した男の水死体が上へと昇っていく。
螺旋にねじれたネクタイが水の流れに静かに伸び、ズボンの裾から糸のような粘液を引いている。
女達の腹でこすられた香水の匂い。鱗粉のように乾き、首筋や頬で虹色に噴いてもいる。
わずかに開いた口の入り口ではネオンの泡と小魚が出たり入ったりし、紫色の燐のような卵をびっしりと産む。
男達はそれを死亡遊戯といっている。

ポン引きの戒めは、そのまま藤沢周の執筆態度を示している。
人が何を考え、どう思うのかではなく、
何を知覚し、どう反応したのかだけを丹念に書くことによって、人間存在を浮かび上がらせているのだ。