ハンプティ・ダンプティの忠告。

ルイス・キャロル鏡の国のアリス」1871

鏡の国のアリス (新潮文庫)

鏡の国のアリス (新潮文庫)

言わずと知れた「不思議の国のアリス」の続編。
白ウサギを追いかけて、不安と恐怖に満ちた独り旅から帰ってきたアリスであったが、
今回、また性懲りも無く、鏡の国へ出かけていく。



鏡の国では、丘を目指して真っ直ぐ歩いていても、いつの間にか元居た家の前に戻ってしまう。
かと思うと、同じ場所にとどまるために、全力で走らなければならないこともある。


オニユリも、バラも、ヒナギクも、言葉を持ってアリスに話しかける。
およそ名前を持っているものは、それを呼べば返事をする。
(じゃなかったら名前を持っている意味が無い!とは蚊がアリスに言った台詞だ)


かと思うと、名前のない森に入った途端にあらゆるものが名前を失い、
どう頑張っても自分に付いていた名前さえ思い出せなくなってしまう。


時間がいろいろな方向に進み、白の女王様は「あいたたたた!」と叫んでから、ブローチで指を刺したりする。
(過去のことしか思い出せないなんて、何と貧弱な記憶力でしょう!とは女王様の台詞)


現在牢屋に入れられている囚人が居るのだが、裁判を行うのは来週の水曜日だし、実際の犯罪が起こるのはその後だと言う。
「もしその人が罪をおかさなければ?」とアリス。
「だったらかえって、けっこうじゃないの」



矛盾に満ちていて、現実世界のルールが通用しない鏡の国ではあるが、前作の「ワンダーランド」とは、その性格を大きく異にする。


「ねぇねぇ、それからどうなったの?」と現実のアリス・リデル嬢に急かされるままに語った「不思議の国」に対し、
本作では、筆者の強靭な知性で以って「鏡の国」を完全にコントロールしている。


それは作品全体がチェスの試合のように、物語を外側から規定していることが影響している。


先手1.アリス赤の女王に会う
後手1.赤の女王h5へ
先手2.アリス汽車でd3を通過し、d4でソックリディーとソックリダムに会う
後手2.白の女王ショールを追ってc4へ
先手3.アリス、ショールを持った白の女王に会う
後手3.白の女王、羊に返信してc5へ
先手4.アリス、店から川を通ってd5へ
後手4.白の女王、卵を棚に残してf8へ
先手5.アリス、d6でハンプティ・ダンプティと会う
後手5.白の女王、赤の騎士から逃れてc8へ
先手6.アリス、d7の森へ
後手6.赤の騎士、e7へ(王手)
先手7.白の騎士、赤の騎士を取る
後手7.白の騎士、f5へ
先手8.アリス、d8で戴冠
後手8.赤の女王、e8で試験
先手9.アリス、女王様になる
後手9.赤白両女王入城
先手10.アリス、入場して宴の場へ
後手10.白の女王、a6のスープの中へ
先手11.アリス、赤の女王を取って勝ち


不思議の国では無秩序な喧騒に巻き込まれ、次から次へと混乱<カオス>の中へ飛び込んでいったのと比較して、
鏡の国では静かに秩序だった制約の中で、美しい予定調和を結んでいる。
「鏡の国」というのは、筆者の心を映す鏡の中の世界であり、そこは既に「ワンダーランド」であることを放棄している。


前作では前に出てきた登場人物がまた出てきて話をかき回すといった混乱があったが、
鏡の国ではそれも無く、実に直線的な物語構成になっている。
上の棋譜でも見れば分かるとおり、ポーン(歩兵)の駒であったアリスは、
d2から一直線でd8まで進み、クイーン(女王)に成っている。



アリスをチェスの駒に見立てたのは、彼女を自分の掌(たなごころ)のうちで支配したい、という
ロリコン中年男ルイス・キャロルの性欲のあらわれだ、というのが多くの人の解釈である。


確かにキャロルはどうしようもないロリコン男ではあった。
チャップリンおじさんの様に、オイタをしては裁判沙汰になったというような醜聞こそ無かったが、
生涯を独身ですごし、数々の少女と親交を結んでいたようだ。


しかし、僕はこの作品に、彼の熱い性欲よりも、切実な祈りと、冷徹な意思を強く感じた。
彼にはどうしても、昇華させなければならなかった思いがあったのだ。



アリスは羊と乗ったボートの上から、灯心草を見付ける。
かわいらしくかぐわしいその花を次から次へと摘んでいく。
しかしそれでも、今摘んだ灯心草より、もっときれいなものが手の届かぬ辺りに生えている。
摘みとった灯心草も、その途端から萎れはじめ、匂いも美しさもどんどんあせてゆくばかり。


また、別のシーンでは、アリスがハンプティ・ダンプティに年齢を教えるシーンがある。
彼の返答はこうだ。
「七歳と六ヶ月ねぇ!僕に相談してくれれば、<七つでやめときなさい>って忠告してあげたのに」


さて、キャロルの祈りが、何だったのか、皆様にもお分かり頂けただろうか?