僕が欲しいのは、リズムだけだ。

テリー・サザーン&メイソン・ホッフェンバーグ「キャンディ」1964

キャンディ (Book plus)

キャンディ (Book plus)

人を愛し、平和を愛し、嘘や打算とは無縁に生きる、純粋無垢な女子高生キャンディ・クリスチャン。
とびきりの美人で、その上どこかヌケている。


教授も、庭師も、叔父さんも、
医師も、せむしも、プレイボーイも、
警官も、紳士も、郵便配達夫も、
聖者も、宗教家も、左翼活動家も、
彼女と会った全ての男たちは、彼女とヤリたいと欲望する。


キャンディは彼らの切実な欲望を受け止めて、「求める人には与えよう」と奮闘する。
しかし、自らが招いた男たちの災難にガックリと嘆く。
「あーあ、どうしていつもこうなっちゃうんだろう?」



キャンディがその純粋無垢な奉仕精神で、僕に与えてくれたもの
―――それは「リズム」である。
リズムは波だから、媒質さえあれば離れていても伝播する。
キャンディからリズムを受け取って、僕は大切なことを思い出した。
―――僕が心から求めていたものはリズムだけだったんだ。


僕はもう十年以上、リズムについて考え続けている。
心から希求し、欲望し、惹きつけて離さないのはリズムだけだ。
その為に僕は生まれ、その為に僕は生き、その為に僕は死ぬのだ。



この地上には醜いものはいくつもある。
しかし、「美しいものは一種類しか無い」ということに、ある日僕は気付いた。


僕が美しいと感じるものは全て、「生命を感じるもの」だ。
それが絵画であれ、音楽であれ、映画であれ、素晴らしい作品はみな、
生き生きと輝いて、力強く成長し、有機的な契約を周囲と取り結んでいる。


なぜ生命を美しいを感じるのだろう?と突き詰めて考えた時、
当然「生命とは何か」という疑問にぶち当たった。



生命とは何か。
現在支配的な生物学的解釈では、生命とは以下のような機能を持つものと定義されている。
(1)散逸構造を持った開放系である。
(2)秩序を持って自己を組織化する。
(3)自己複製能力がある。
一つ一つ見ていこう。


(1)散逸構造を持った開放系である。
全ての生命は、呼吸をしている。
酸素を体内に取り込んで、燃焼させ、不要になった二酸化炭素を排出する。
あるいは、食事、排泄をする。
また、日光を浴びて光合成を行うことにより、でんぷんを作って酸素を捨てる。


そのように絶えず外界と物質、エネルギー、情報のやり取りを行うことによって、
エントロピーの増大を防ぎ、動的な定常秩序を保っている。


(2)秩序を持って自己を組織化する。
生命は明確に外界との境界を持ち、「秩序」を持った独立固体として存在している。
秩序とは、「モノトーン」と「カオス」の間に現れる境界の層である。
秩序があり過ぎる状態が「モノトーン」であり、無さ過ぎる状態が「カオス」。


テレビで例えると、番組放送が始まる前のカラーバーが「モノトーン」、
番組放送が終わった後の砂嵐が「カオス」、
その間にある番組放送が「秩序」である。


ラジオで例えると、「ピー」という試験放送が「モノトーン」、
チューニングが合っていない時のホワイトノイズが「カオス」、
チューニングが合って流れてくるジャズが「秩序」である。


文章で例えると、「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」が「モノトーン」、
「tAsnKsklFeoMf;aSl,D:asDern」が「カオス」、
「Methinks it is like a weasel」が「秩序」である。


生命も、そのようなモノトーンとカオスの間に一瞬だけ顔を出す相転移である。


そしてこれは循環理論になってしまうが、「秩序」とは生命のことである。
生命の無いところに秩序は無い。


(3)自己複製能力がある。
細胞分裂を行う、種子を作る、こどもを産む等して、自己を複製し、
フラクタル(自己相似形)を形作る。


生殖において、遺伝子は遺伝子を自己複製する。
遺伝子はたんぱく質の作り方を指令する情報であるが、そうした情報自体をも複製する。
つまりは遺伝子は自己言及がなされた、自己のみで完結するシステムなのである。



上に挙げたのは生命の定義であるが、それと同時に生命の目的でもある。
エネルギーを取り込み、廃熱を捨てる。
秩序を持って自己を組織化する。
生殖を行う。
その為に、全ての生命はその活動を行っているのだ。


いくら人類が知性を持って、神に近付いたと自負していたとしても、
生命の限界や、目的からは逃れることは出来ない。



そして、生命にはリズムがある。
例えば僕らは胎児の時、母親の胎内で心音のリズムに包まれている。


成人の心臓は約300g、つまり全体重の0.5%程度でしかない。
しかし、そんな小さなポンプが、10万kmに及ぶと言われる全身の血管の隅々まで血液を送っている。
だから全身に血液を送る時のエネルギーと言うのは爆発的なものだ。
にもかかわらず、安定した器官で、80年なら80年の生涯、1秒も休まずに動き続ける。
「爆発を内包しながら、安定している」というこだ。
これが、生命のリズムである。


また、心音は、1/fのゆらぎを持っている。
「1/fにゆらいでいる」と言うのは、その波の強さと波の頻度が反比例しているということだ。
小さな波は頻繁に、大きな波は時々来る。
これは何も心音に限ったことではない。
例えば雨、風、波音など、自然の音の中に共通して存在し、我々に安心感を与える。



生命のリズムを感じた時、人は我を忘れる。
その美に戦慄し、世界と同一化し、大きな安心感と快楽を得る。
僕が求めていたのはそういうリズムだ。
僕が欲しいものは、それだけだ。