お袋、安心してくれ。

マイケル・ジャクソン THIS IS IT
ケニー・オルテガマイケル・ジャクソン監督/2009/米/原題:Michael Jackson's This Is It

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(1枚組通常盤)

マイケル・ジャクソン THIS IS IT(1枚組通常盤)

実家に帰ったときの話。
お袋はなぜか僕に、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見るかと訊いてきた。
えっ、何で僕はお袋に MJ を勧められているんだ?
だが母親の助言というのは、とにかく素直に聞いておくに限る。
僕は鎌倉の掘り炬燵で MJ の映画を観る、という奇妙な朝を過ごした。


もし MJ が亡くなっていなければ、行われたはずワールドツアーがある。
THIS IS IT」は、そのリハーサルの様子を収めたドキュメンタリー映画だ。
この時、彼ははすでに50歳。


MJ が十年以上ぶりにツアーをやると知って、世界中のダンサーがオーディションを受けにやってくる。
MJ の後ろで踊るということは、ダンサーにとって何にも勝る栄誉なのだ。
ダンサーたちはショーにおいて、MJ の手足のような存在である。
彼の意図通りに動き、正確で、美しく、かつ目を引くような華があるようなダンサーが
オーディションによって選ばれていく。
その倍率は何百倍、何千倍というものである。


同様にバックバンド、舞台装置、メイク、衣装、PV 撮影、
その他全てのショーを構成するスタッフたちは、
世界中から選りすぐった超のつく一流ばかりであった。
その誰もが MJ を尊敬し、敬愛し、賞賛し、憧れ、彼を支え働くことに誇りを持っていた。


だが、一方の MJ は、ステージ上で孤独だった。
天才はいつだって孤独だ。
一曲一曲リハーサルをやりながら、どのように見せたいか、狙いは何か、
その為にどのような音と、ダンスと、照明と、舞台装置が必要なのかを、淡々とスタッフに伝えていた。
その様子は剛胆なリーダーでも、愛嬌のあるボスでもなく、神経質な草食動物さながらだった。


彼の耳は全ての音を聴いてしまう。
彼の目は全ての光を見てしまう。
彼の身体は全てのリズムを感じてしまう。


そして、それを知覚できないバックバンドや、バックダンサーに対して、
どうしてこんなことが分からないんだ、どうしてこんなことに気付かないんだ、と常に苛立つ。
だが彼は、その苛付きを隠し通す術に長けていた。
かつてのように、不機嫌に怒鳴り散らすこともない。
そんなことをしても何も生まれないことを、長い経験で知ったのだ。
厳しく指示を出した後に、小さい声で付け加える。
「怒っているんじゃないんだ、愛しているんだ、理解して欲しい」


彼に与えられた称号は「キング・オブ・ポップ」。
それは彼自身が音楽そのものであり、また、アメリカ合衆国そのものであるということを示している。
経済格差、人種差別、薬物濫用、幼児虐待、小児愛、商業的ポップ、チャリティ、環境破壊、
バブル、整形手術、膨大な訴訟、ゴシップ、偏向報道、王座からの失墜・・・。
彼の生涯を語る上で避けられないそれらの問題は、
いずれもアメリカ合衆国の病理そのものを見るようだ。



僕は彼の超人的な努力に想いを馳せた。
努力を努力とも思わず、人の何十倍、何百倍も頑張ってきたはずだ。
常に完璧を目指し、妥協することを知らず、頂点だけを目指した。
MJ の全盛期が、BAD にあるのか、スリラーにあるのか、We are the world にあるのか知らないが、
彼は常に全盛期の自分に基準を置いていた。
彼のファンはなかなか新作が出ないことや、やっと出た新作の出来が良くないことに苛立っていたが、
本当に苛立っていたのは彼自身のはずだ。
逃げることも、目を背けることも出来ないくらいに、彼は繊細で、誠実だった。
MJ の才能や富、名声を羨むのは簡単だが、
それに見合う努力や苦悩を引き受けられる人間はそうはいない。


正直言って僕は、MJ の音楽は好きじゃない。
それどころか憎んでさえいる。
彼の音楽だけではなく、彼の音楽が象徴する、70〜80年代のアメリカ音楽にはうんざりだし、
彼の影響を受けた当時の日本のポップスも聴く度に辟易する。


しかし、この映画を観ていて気付いた。
彼を嫌いになることは出来ても、無視をすることは出来ない。
影響を受けずにいられない。
それは一度耳に入ったら、恐ろしい素早さで僕の耳に貼り付いて、
頭を振っても、叫んでも、離れなくなるのだ。



彼は感じたリズムを、自分の身体を使って表現することが出来る。
そのインプットからアウトプットへの変換は、驚くほどに淀みが無い。
彼の身体はそれ自体が音楽のように、うねり、共鳴し、弾み、展開する。
優れたダンスはまるで演奏しているように見えるものだ。
ダンスに依って音が出ないことの方がむしろ不思議なくらいだ。


そして問題は僕自身に返ってくる。
僕は音楽が流れる時、そのうちのどれだけをインプット出来ているだろう?
インプットに対して、どれだけのアウトプットが出来ているだろう?
100 の音楽を浴びたら、20 もインプット出来ているだろうか。
20 のインプットから、1 のアウトプットも出来ているだろうか。
僕には、MJ のような回路が無い。
MJは「踊るときは何を考えているのでしょうか」と質問された時、
「踊る時に考えるのは最大のミス。感じることが大切なんだよ」と答えたという。
僕はいつも答えの出ない問いを抱えて、考えてばかりいる。
水は淀んでいく一方だ。


映画を観終わった僕は、畳の上に仰向けに寝転がった。
濁っていく意識の中で、無意味な焦りを覚える。
お袋、安心してくれ。あなたの愛する息子は凡人だ。