鉄腕アトムやドラえもんは、なぜ原子力で動いていなければならないか。

グラン・トリノ
クリント・イーストウッド監督/2008/米/原題:Gran Torino

グラン・トリノ [DVD]

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偏屈で頑固な元軍人ウォルト・コワルスキーは、親戚中の鼻つまみ者であった。
時代遅れの価値観に固執し、人種差別的な発言を繰り返す。
懺悔を勧める教会の神父に対しても、悪罵を浴びせる始末だった。


彼は、フォードの自動車工場に50年勤めあげたポーランド系米国人だ。
保守的な生活を貫き通そうとする彼の周辺でも、時代は変わりつつあった。
日本車が台頭することで、デトロイトも、彼の軽蔑する東洋人の街となろうとしていたのだ。


妻を亡くした後、一人隠居生活を送る元自動車工が、最後の拠り所としていたのは、
グラン・トリノ」であった。



グラン・トリノ」とは、フォード・モーターが製造していたインターミディエイト
「フォード・トリノ」のうち、第三世代に当たる1972〜76年に生産された車種のひとつである。
映画に登場する1972年式のそれは、ロングノーズ・ショートデッキを特徴とする
典型的なアメリカン・スポーツカーだ。
コブラ・エンジンを積んだ怪物―――まさに「失われてしまったアメリカのファルス」である。


誰とも心を通わそうとしない彼も、このグラン・トリノだけは特別だった。
それは老人ホームに入れようとする息子夫婦たちなんかよりも、ずっと彼を理解していた。
コワルスキー自身がステアリング・コラムを取り付けたという、排気量7000cc超のクラシック・カーは、
彼のプライドをそのまま体現する古き相棒なのだった。



この映画を観て、インド富士でよく会う友人が語った話を思い出した。
彼は僕に、「原発バイアグラ説」を話してくれたのだ。


原発が安全だ、と言うのは嘘だ。
原発がエネルギー確保のために必要だ、というのも嘘だ。
原発の発電コストが安い、というのも嘘だ。


そんなことは反対派のみならず、推進派だって承知している。
それなのに僕たちは何故、原発から脱却できないのだろうか。
その理由について友人は、「原発でしか勃たないチンポがあるからだ」と言っていた。


朝っぱらから変なこと言ってごめんなさいね。
だが言われてみれば、確かに彼の言う通りなのだ。



スリー・マイル島で大規模な原発事故が起こった年、僕は生まれた。
それまでは、原子力業界というのは花形の就職先だった。
特に僕たち理系のオトコノコ達にとっては、憧れの専門分野だったことには疑いようがない。
思い描く未来世界には必ず、
宇宙ロケットと、大型コンピュータ、クローン技術、ニュークリアパワーがあった。


鉄腕アトムや、ドラえもんは、なぜ原子力で動いていなければいけなかったのか?
それは、当時の少年たちにとって、唯一約束されていた「輝ける未来」だったからだ。


原発推進派の中には、
原子力でしかエレクトできない、繊細なペニスを持ったオトコ達が少なからず存在する。
戦争を知らない世代においては、ポテンツに何の悩みも無い男なんかどこにも居ない。
あぁ、なんと哀れで繊細な、愛すべきオトコ達だろう。



さて、頑固オヤジのコワルスキーにグラン・トリノを捨てさせる方法があるだろうか?
スポーツカーなんて時代遅れで、燃費が悪いし、エンジン音が迷惑だと言おうか?
電車の方が安全で、安くて、環境に優しいと言おうか?
果たして彼はそれで、グラン・トリノを捨ててくれるだろうか?



宇宙工学や、コンピュータ技術、遺伝子工学が近年、目覚しい進歩を遂げたのはご存知の通りだ。
だが、原子力については未だに兵器と発電にしか利用されていない。
あまりにも危険な技術である為、50年前からほとんど発展していないのだ。


だが、それにもかかわらず、人類は原子力を捨てないだろう。
ある種の人々が、スポーツカーや、フィルムカメラ、レコードを後生大事に抱えているように。
それは、忘れられた過去の技術であるからこそ、ポテンツを担保するのだ。