「ダクト」が象徴する未来世界。

未来世紀ブラジル
テリー・ギリアム監督/1985/英/原題:Brazil

未来世紀ブラジル [DVD]

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まさにレトロフューチャーとも言うべき、懐かしさを覚える未来映画。
舞台は20世紀のどこかの国。滑稽なほどに統制された情報化社会である。


インターネットが普及し始める10年も前の作品でありながら、
コンピュータ通信によって情報化社会が生まれること、
またそれによって人間性が阻害されることが看破されている。



コンピュータ上から情報を送信するのに、
その返信は紙筒に入ってダクトから送られてくるというのが微笑ましい。
しかし、この"ダクト"という視覚イメージは、この映画に欠かすべからずものであった。


情報、サービス、物流、エネルギー、食品、飲料など、人間が生きていく上で必要なものは全て、
このダクトによって供給されてくる。
ダクトは国家が運営する「セントラル・サービス」によって、設置、保全、管理されており、
中央政府の許可を得ずにダクトに手を加えることは固く禁じられている。
無許可で修理や改造を行った者にはテロリストの烙印が押され、
逮捕、懲罰、あるいは抹殺される対象となる。



「テロリストとの戦い」を旗印に、国民に大きな犠牲を強いる様は、
現代社会を予言しているとしか思えない。
すなわちダクトとは、中央と末端とを接続しながら、僕らの生活や欲望までもを縛り付ける
「システムそのもの」の象徴なのである。


共産主義革命の惨敗、ソビエト連邦の崩壊を横目に成長してきた僕らには、
「ダクト」の完全なる破壊が不可能であることを知っている。
「ダクト」の運営者が無能ではあっても、そう邪悪ではないことも知っている。
また、僕らが貧困や不幸を抱えているとしても、それは必ずしも「ダクト」のせいではないこと、
「ダクト」の破壊がすぐに僕らに幸福を齎さないであろうことも知っている。


しかし、ここに確かに「ダクト」があること、
自らがそのダクトによって生かされている存在であることに無自覚であってはならない。