愛する人を失うことは、誰にとっても恐怖だ。

■めまい
アルフレッド・ヒッチコック監督/1958/米/原題:Vertigo

めまい ― コレクターズ・エディション [DVD]

めまい ― コレクターズ・エディション [DVD]

考えれば考える程ヘンな映画だ。


極度の高所恐怖症になってしまったことで、スコティは警官を辞職する。
彼の元に、学生時代の友人エルスターが「妻を尾行して欲しい」という奇妙な依頼を持ちかける。
エルスターの妻マデリンは、まるで死者が取り憑いているかのように、
意識を失ったり、奇妙な行動を取っていると言うのだ。
スコティは調査によって、彼女の先祖であり、過去に不遇の死を遂げた女性「カルロッタ」の存在を突き止める。
死者に彩られ、ミステリアスな魅力を讃えたマデリン。スコティは彼女に、密かな愛情を感じ始める。
奇妙な夢や、記憶喪失に悩まされながらも、スコティの一途な愛情に応えようと努力するマデリン。
しかし夢で見たスペイン風の教会に連れて来られると、
マデリンは衝動的に鐘楼から飛び降りて自らの命を絶ってしまう。
高所恐怖症の為に彼女を救えなかったことで自責の念を感じ、神経衰弱に陥るスコティ。
エルスターは「君の責任じゃない、不幸な事故だった」と彼を慰めながら、ヨーロッパへと旅立つ。


そして、映画の後半では、真実が明かされる。


マデリンはエルスターの妻ではなく、愛人であった。
死者に取り憑かれていると見えたのは彼女の狂言であり、教会へとスコティを誘いこむ罠であったのだ。
マデリンは、鐘楼に駆け上っても高所恐怖症のスコティが追って来れないことを知っていた。
頂上ではエルスターが既に首の骨を折った本当の妻を抱きかかえて待っていた。
そしてマデリンの悲鳴を合図に、エルスターが妻を突き落とす。
スコティの証言により自殺だと判断され、エルスターの妻殺しは完全犯罪になったのであった。



・・・この後半部分、とってもヘンだ。どう考えても不自然だと思う。


エルスターの身になって考えて欲しい。
若い愛人が出来て、邪魔になった妻を殺害したい、ここまではいい。
愛人に対して、自分の妻を演じるように強要するのも、まぁ許そう。
だが、死者が取り憑いているかのような、奇妙な行動をさせる必要がどこにあるのだ?
マデリンを教会に連れてきたのはスコティだったのだ。
そんな不確定要素を孕む殺人計画が有り得るだろうか?



僕は考えた。
―――この後半部分は「真実」じゃない。きっと神経衰弱に陥ったスコティの妄想の世界なのだ。



スコティは、「愛する人を救えなかった」という自責の念から解放される為、
「マデリンは実は生きている」という妄想を育て上げた。
不幸な現実から目を逸らし、自らの贖罪とする為に、
不自然な犯罪物語を構築し、マデリンの死を否定する。


ラストシーン、高所恐怖症を克服したスコティは塔の上からマデリンの死体を見下ろす。
しかし彼が克服したのは高所恐怖症だけではない。同時に「愛する人の死」をも克服した。


飛行機の墜落を心の底から恐怖したパイロットが、
その恐怖から逃れる為に実際に飛行機を墜落させることがあるように、
愛する人の死」を恐怖したスコティが、その恐怖から逃れるには、
愛する人は実は死んでいないことにして、再度その死に立ち会う」という
アクロバティックを演じる必要があったのだ。



映画の冒頭に、「高所恐怖症を克服するには、同じ体験をしなければならない」という
台詞が挿入されていたことを思い出されたい。


愛する人を失うことは、誰にとっても恐怖だ。
愛する人の死を乗り越えるために、再び愛する人を殺さなければいけないのだとしたら?
僕はそこまで考えを巡らせて、初めてこの映画のタイトルの意味を知るのだった。