こうして街にキンモクセイが咲くと。

パフューム ある人殺しの物語
トム・ティクヴァ監督/2006/ドイツ/原題:Perfume: The Story of a Murderer

超人的に鼻が利く孤児グルヌイユ。
何百、何千種類のものの匂いを嗅ぎ分けて、
目を閉じていてもどこに何があるかをハッキリと言い当てる。
ものにはそれぞれ、固有の匂いがある。
彼はそれをいちいち、いい匂いと、悪い匂いに分類したりはしない。


グルヌイユはある日、街で素晴らしい香りに出会う。
それは美しい少女の香りだった。
だが彼は誤ってその少女を殺めてしまう。
段々と香りが失われていくのを前に、グルヌイユは茫然と立ち尽くす。
何とかその香りを再現し、保存する方法は無いものか。
考えに考えた末、彼は調香師の元に弟子入りすることにした。


感覚が鋭いというだけでは調香師にはなれない。
だから学校に通って、香水の歴史や種類、製法を勉強する。
そしてそこで、禁断の香水の製法が書かれた書物に出会う。
それは「帝王の香水」とでも言うべきもので、
人の感情を支配し、世界を跪かせることが出来るという代物だ。


彼はその究極の香水作りに熱中する。
書物に書かれた通りに、美しい処女を次々に殺害し、そのエキスを抽出する。
つまり、彼にとっては香りというのが唯一絶対の価値で、
社会的なモラルや、俗世の価値観は全く眼中に無いのだ。
そしてとうとうその香水が完成するという時、彼の犯罪は露見してしまう。
身勝手な連続殺人を犯したかどで、公開死刑を言い渡される。


ギロチン台の前で彼は、例の帝王の香水を取り出す。
ガーゼにその一滴を染み込ませ、高く掲げる。
そうすると、さっきまで殺気立っていた民衆が一瞬で黙り、甘く蕩け、
そしてとうとう彼の前に跪くのだ。



中学生の時、理科の実験でアンモニアを化合したことがある。
僕は強烈な刺激臭に顔をしかめた。
クサイというより、痛いと言った方がいいような、暴力的な匂いだった。
シャネルの5番なんかは催淫効果があると言われている。
こうして街にキンモクセイが咲くとみんなセンチメンタルな気分になるし、
愛する人のうなじの匂いを嗅ぐと安心する。
香りが人の精神に影響を及ぼすことは疑いようのない事実だ。


それでもこの映画のラスト、つまり、
民衆がある香水の前に跪くというシーンには、違和感を覚えた。
民衆は、グルヌイユほどは嗅覚が良くないはずだ。鼻が詰まってる人も居る。
そもそも、香水の一滴をガーゼに吸わせただけで、
何十メートルも離れたところに居る人に感知できる訳がない。
それなのに、広場に居る全員の目がトロンとさせて、我を忘れる。
みんな服を脱ぎ捨てて、セックスを始める始末だ。
そんなのリアルじゃない。


そこで気付いた。これは、グルヌイユの見ている幻覚なのではないか。


「帝王の香水」が与える効果はつまりそれだったんだ。
その香りを嗅いだ人に万能感を与え、世界を所有したかのような誇大妄想を促し、
その人の望む幻覚を見せる。
そしてグルヌイユは幸福感に打ち震え、陶然としながら、ギロチン刑に処されたのだろう。
映画ではその場から逃げだしたことになっていたれど。



この物語を、嗅覚じゃなくて、聴覚に置き換えても、きっと同じような物語が成り立つだろう。
「帝王の香水」は、前にも「処女の皮で楽器を作ったら・・・」という話に簡単に置き換えられる。
音楽は、香りよりも強く、人の精神に影響を与える。


ビートルズは「She Loves You」で、世界を征服した。
アレクサンダー大王にも、ユリウス・カエサルにも、チンギス・カンにも、
ナポレオン・ボナパルトにも、アドルフ・ヒットラーにも出来なかったことを、
彼らは音楽でやってのけたのだ。