モラル無きところに背徳の悦楽も無い。

三島由紀夫「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」1968

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

山の無いところに谷が無いように、法律の無い世界には犯罪も無い。
夜の無い世界に朝が来ないように、モラルの無いところにはインモラルも無い。


次々とスキャンダラスな事件を起こし、また、過激な内容の書物を物したことにより、
人生の大半を監獄と精神病院で過ごした、一世一代のリベルタンマルキ・ド・サド侯爵。


彼は、貴族、平民、奴隷の下に、もう一つの階級を作るべきだと常々主張していた。
貴族の楽しみのために、傷付けたり、殺したりしても構わないような身分の人間を作るということだ。
例えば本当にそれが制度化されて、どのように扱ってもよい身分の人間が出来たと仮定しよう。
彼らを痛め付けて、サド伯爵は快楽を得ることが出来ただろうか?
果して、モラルに反しないところに、背徳の悦楽などあるものだろうか?




僕は時々、音楽が禁じられた世界を夢想する。


その世界では楽器の演奏をすることは出来ない。
歌うことも、踊ることも、口笛を吹くことすら禁じられている。
テレビやラジオでは、ロックやヒップホップはもちろん、クラシックや雅楽が流れることも無い。
幼稚園から童謡が聴こえてくることは無く、式典で国歌が演奏されることも無い。
iPodも、ステレオも、ギターも、アンプも、ハープも、尺八も、
メロディが流れる目覚まし時計すら禁じられ、発見されれば没収される。
音楽を聴いた者があれば、たちまちに逮捕され、社会的に抹殺される。
逮捕された者の一族郎党は残らず、犯罪者の家族として全国に顔を晒され、非難される。



しかし、それでも音楽に憑かれた背徳者(ジャンキー)たちは、毎夜毎夜地下に潜って秘密のパーティを開くだろう。
警官の前では無用にビクビクしながら生きてきた小心者の僕だが、その世界では果敢にクラブに通うだろう。


警察の手入れを警戒しながら聴くメロディーは、どれだけ甘美だろう?
社会的地位を失うことを怖れながら酔いしれるハーモニーは、どれだけ冒涜的だろう?
自らが堕ちていくことを知りながら感じるリズムは、どれだけスリリングだろう?


強欲のバスドラと、冒神のスネアで、邪悪なリズムを刻む。
邪教のDJが、悪魔的な栄光に満ちたレコードを回す。
魅惑の膝を持ったダンサーの女の子に、道ならぬ恋を打ち明ける。



踊り明かした朝は、またネクタイを締めて自動車を売る。
眠い目を擦りながら、昨日の法悦の残滓を噛み締める。
モラル無きところに背徳の悦楽も無いのだ。