極彩色の地獄と、退屈な天国。

岩井志麻子「楽園 ラック・ヴィエン」2003

楽園(ラック・ヴィエン) (角川ホラー文庫)

楽園(ラック・ヴィエン) (角川ホラー文庫)

元タレントの「私」は、日本と同じ同じ仏教国でありながら、異質なる風土と習慣を持つベトナムにやって来る。
名前も知らない、運命の「彼」と以下のような会話を交わす。

じゃあ、あなたは人間の味を知っているの。
いいえ。知るはずがないじゃないですか。
では、どうしてそんなことがいえるの。
食べてはいないけれど、知っている味というものはあるのです。
たとえば。
たとえば?行って帰ってきた人はいないのに、誰もが地獄は美しいと知っている。そうして、天国はそんなに色彩豊かではないことも、皆がわかっている。

そう、僕らは「地獄」が極彩色に彩られた、ゾクゾクするような美しい世界だということを知っている。
その一方で「天国」は、永遠の退屈に閉ざされた、薄ぼんやりとした牢獄だということも知っている。
行って帰ってきた人は誰も居ないのに、それは確固たる確信を持って交わされた約束の地として準備されている。



極楽浄土は「西方十万億土の彼方」にあると言われる。
十万億土とは、一体どのくらい遠くなのだろうか。


仏教における宇宙観では、僕らの住む「世界」には、
須弥山 (しゅみせん) の周りに四つの大陸があり、そのまわりに九山八海、つまり九つの山と、八つの海があるとされている。
マントルの対流により大陸の数は変わってはいるが、仏教の言う「世界」は、地球そのものであると言えるだろう。


その世界が千個集まって、小千世界と呼ばれる世界を構成する。
小千世界が千集まって中千世界、中千世界が千集まって大千世界を成す。
大千世界は、大・中・小の3つの千世界から成るので「三千大千世界」とも呼ばれる。
つまり、三千大千世界には、1000の3乗=十億個の「世界」が含まれるということになる。
十億の星々、これはもはや銀河系全体を指しているのだろう。


そして、その三千大千世界は、一人の仏の教化が及ぶ範囲とされている為、「仏国土」とも呼ばれている。


十万億土」というのは、この「仏国土」が十万億個あるということだ。
銀河系の直径を十万光年として、それを百兆倍すると、千京光年になる。
極楽浄土は、光の速度で移動しても千京年かかる程の遠くにあるのだ。



しかしそれほどに離れている異界でも、「一念即到」と言って、
阿弥陀仏のことを念じれば、直ちに西方浄土に転生することが出来ると信じられている。
千京光年の遥かな行程を、一瞬で踏破するのであれば、それは超高速で移動しているということに他ならない。


死語の世界が極彩色に輝いていたり、あるいは時間がゆっくりと流れていくように感じられるのは、
きっとこの超高速移動が起因しているのだ。


ドップラー効果赤方偏移により、相対的に高速で遠ざかっているものは、毒々しい程に赤く見える。
また相対性理論により、超高速で移動するものは、時間がゆっくりと流れる。
僕らの死後に待っているのは、全てが停止した世界ではなく、そのような超高速移動なのかもしれない。


死者である「彼」は、その超高速の孤独の中で、生者である「私」との関係を渇望する。
しかしどんなに遠くに離れていても、楽園への道は一瞬に開かれるのだ。