芥川とビートルズは「偉大なる翻訳者」であった。

芥川龍之介「河童・或阿呆の一生」1927

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

ビートルズは、現代音楽の始祖とされる。
例えば、「自分たちが歌う曲を自分たちで作る」ということを本格的に始めたのはビートルズであったし、
「アルバム1枚を、ある一つのテーマに添って作った」のも、「MTVのような、プロモーション・ビデオを作った」のも、ビートルズが最初であった。


これら現代の音楽シーンで当然のように行われていることの多くは、ビートルズが革命的に始めたことである。
それが、「全てはビートルズから始まった」と言われる所以だ。


しかし、当然のことながら、ビートルズの前にも音楽はあった。
彼らは何も無いところから音楽を創ったのではない。
彼らが幼い頃から聴いていたのは、ロックンロール、ブルースなどの黒人音楽だった。


しかし当時の音楽シーンは、白人が聴く音楽と、黒人が聴く音楽に大きな隔たりがあった。
白人の音楽を流すラジオ局に黒人バンドの曲が流れることは無かったし、黒人が演奏するクラブに、白人が出演することは無かった。


ビートルズが白人社会にとって大きな衝撃であったのは、彼らが黒人社会の音楽を紹介した「偉大なる翻訳者」であったからなのだ。



なぜ、芥川龍之介について語るのに、ビートルズを引き合いに出したのか、お分かり頂けただろうか。
芥川もまた、翻訳者であった。
「日本近代文学の父」である明治の文学者たち、つまり坪内逍遥二葉亭四迷、あるいは鴎外も、漱石も、谷崎も、みなそう。
彼らは「偉大なる翻訳者」であったのだ。


ペリーの来航によって急速に文明開化が行われていったあの時代、
欧米にある巨大な知のアーカイブにアクセスし、それを整理し、訳し、無い言葉は作り、日本へ広く紹介するような翻訳者が必要とされていた。
彼等は見事にその期待に応え、たったの一代限りで、「標準語」を創ってしまったのだ。


それまでこの国には、「標準語」そのものが存在しなかった。
例えば「自由」という言葉は無かった。
「社会」も、「義務」も、「権利」も、「契約」も無かった。


ビートルズは自分たちで曲を作った」と言ったって、それが当たり前となった今では、その偉大な功績は理解されづらい。
それと同じように、日々標準語でものを考え、日常会話している僕らにも、明治の文学者達の成し得たことを理解することは難しい。


しかし彼等が居なければ、僕らが今日のように考え、話すことは無かった。
例え彼らの書いた小説を一冊も読んだことが無くったって、僕らは彼らの強い影響下にあるのだ。



当時の日本語を創っていたのは、確かに文学者たちであった。
しかし、昭和が始まる頃から、日本語創造の担い手はラジオに移る。
そして大衆映画に移り、やがてテレビが取って代わる。
そして今、新しい日本語の生産地はインターネットに移りつつある。


「スイーツ(笑)」に代表されるように、テレビが無理やりに流行らせようとした言葉には徹底的に嘲笑が浴びせられるようになった。
テレビが決めた「流行語大賞」にも、聞いたことも無いような言葉が選ばれるようになって久しい。
テレビの作った言葉は既に、力を失っているのだ。


2ちゃんねるで作られたインターネットスラングの方が、現代日本人の生活にフィットしているということだ。


芥川は自分のことを「阿呆」と呼んだ。
漱石は自ら「苦沙弥先生」を自認し、鴎外は自分に「生まれながらの傍観者」の烙印を押す。
阿呆と先生と傍観者なんて、まるで、2ちゃんねるに住む「名無しさん」のようではないか。