燃えるような使命感と、切実な危機感。

トルストイ「光あるうち光の中を歩め」1887

光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)

光あるうち光の中を歩め (新潮文庫)

紀元2世紀、古代ローマ帝国が栄華を極め、最大版図となった皇帝トライアヌスの治世。
まだイエスの又弟子が存命だった原始キリスト教の時代の話である。


ローマ的な快楽と、快適な文明にどっぷりと浸かり、様々な欲望や野心、功名心を持った青年ユリウス。
キリストの教えに従い、全ての私有財産を投げ出して、愛と労働に生きる青年パンフィリウス。
幼なじみとして育った二人も、やがてそれぞれの道へと歩み出す。
同じように幸福を求めた彼らの人生は、時に交わり、時に平行線を辿りながらも、やがて神の道に至る。


晩年のトルストイの思想をそのままの形で伝える作品である。
トルストイは、アナーキーな原始キリスト教への回帰を力強く迫る。
私有財産を否定し、人生の全ての時間を隣人への愛に捧げよと叫ぶ。
表面的に読むならば、異教徒をいかようにしてキリスト教に改宗させるかを示す教則本のようにも見える。
しかしここには宗教の対立を越えて、「より良く生きることとはどういうことか」という全人類に共通の主題が掲げられている。



より良く生きることとはどういうことか?より正しく、より美しく生きるとはどういうことか?
トルストイの出した回答は、この本のタイトルによって、端的に示されている。
光あるうちに、光の中を歩め。


彼は年老いてゆくにつれ、自分の身体が早晩、闇に包まれることを知っていた。
彼は残りいくばくもない人生を、真のキリスト者として生きることを選んだ。
実際に私有財産を投げうち、神と人類に奉仕する求道者としての生活を始めた。
そして家を出た10日後、鉄道の駅長官舎にて息を引き取った。
貴族として生まれ、文豪の名を欲しいままにした大作家の壮絶な死である。


トルストイにはしかし、これ以外には選択肢は無かったのだ。
真のキリスト者としての生活を始めない限り、自分の魂が栄光に包まれることはない。
例え周囲に狂人と後ろ指を刺されようとも、長年連れ添った家族と不和に陥ろうとも、今までの堕落した生活は捨て去らねばならない。
胸には燃えるような使命感と、切実な危機感があったのだ。


僕はキリスト教徒ではない。
19世紀の人間でもないし、ロシア人でもない。
だが僕は、トルストイを自分の兄弟のように感じることが出来る。
彼の感じた使命感と危機感は、僕の胸の中にも確実にあるのだ。
そしてきっと、誰の胸の中にもその使命感と危機感がある。
僕らはみんな兄弟なんだ。