日本人の誇りと、それを脅かすヤプー。

沼正三家畜人ヤプー

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第1巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第2巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第2巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第3巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第3巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第4巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第4巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第5巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)

家畜人ヤプー〈第5巻〉 (幻冬舎アウトロー文庫)


全5冊の大巨編であるが簡単にあらすじを書いておこう。

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日本人青年留学生・瀬部麟一郎と、ドイツ人女性クララ・フォン・コトヴィッツは、婚約したばかりの恋人同士である。
二人はドイツの山中で未来帝国イース人女性・ポーリーンが乗った円盤型航時艇の墜落事故に巻き込まれ、未来世界へ招待される。
未来帝国イース、またの名を大英宇宙帝国は、白色人種の「人間」が支配しする厳然たる差別社会であった。
黒色人種は半人間の「黒奴」として、また、日本人は「ヤプー」と呼ばれる家畜として白人種に奉仕させられている。
ヤプーは生体手術などの加工を施され、人間椅子、肉便器(セッチン)、畜人犬、自慰道具の舌人形・唇人形、靴の中敷など、様々な用途に使用されている。
水浴びの途中で墜落事故に巻き込まれたため、裸でいた麟一郎はヤプーと間違えられる。
皮膚強化や、去勢手術を施され、変わり果てた姿となった麟一郎は、クララの尿洗礼を受け、ヤプー「リン」として生まれ変わる。

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■戦後最大の奇書
家畜人ヤプー」は、戦後最大の奇書と呼ばれ、三島由紀夫澁澤龍彦に大絶賛された。
その所以は、未来世界を緻密に書いたSF作品である、ということにあるのではない。
「日本人が白人種に家畜として扱われる」という究極のマゾヒズム小説であったからである。


鞭打ち、生体改造、スカトロジー(汚物愛好)、カニバリズム(食人)・・・。
ヤプーに対してはあらゆる嗜虐行為が許されている。
しかも、ヤプー達は、白人達の「蓄愛主義」の考えに則り、
それら全ての嗜虐行為を「快楽」として感じるように、徹底的に馴致させられているのだ。


沼正三は、「プレーとしてのSM」や、「前戯としてのSM」を完全に否定し、
「制度としてのSM」の確立こそが真の快楽であると声高に宣言する。


マルキ・ド・サドは奴隷階級の下に、「好きに殺しても構わない階級」を作るべきだと主張したが、沼正三とはちょうど逆の立場から、全く同じ主張をした格好になる。


■日本人の誇りについて
前述のように、「家畜人ヤプー」ではSMに関して、緻密で徹底的な記述がなされている。
沼正三のこのマゾヒズムは、第二次世界大戦での捕虜経験、および、
祖国が白人により占領されているという事実が育てた、と自ら告白している。


神と崇めた天皇の統治する日本政府が、GHQの言いなりになることによって、
戦後を生き抜いた日本人の民族的な誇りは粉々に打ち砕かれた。


その屈辱を、「快楽」として感知した筆者は、その快楽原則に則り、
「日本人の誇り」を完膚なきまでに破壊している。


まず、日本神話における太陽神である「アマテラス(天照大神)」の正体は、
タイムマシンで過去に来ていたイギリス系貴族女性「アンナ・テラス(地球のアンナ)」であるとされる。
日本人の信仰の対象は、古来より白人女性だったのである。


イザナギイザナミは、家畜サナギーとサナミーを古代に放したもの。
弘法大師イースが送りこんだアンドロイドのコボであり、
観音大師は同じくアンドロイドのキャノン・ダイシーである。


一番衝撃を受けたのは、「チクヒト」という日本人の精神的支柱となっている一族の末裔が、
セッチン、つまり便器として使用されているということだ。


天皇について
僕は右翼でも、国粋主義者でも、天皇主義者でも無い。
だが、さすがに天皇が白人の便器として使用されるという設定にはダメージを受けた。
しかも、天皇家の菊の御紋は、肛門に由来するとまで書かれているのだ。


万世一系」の天皇家は、神話の時代から綿々と続いていると言われる。
いくら中国の歴史が五千年続いていると言っても、
それぞれの王朝は天皇家の歴史ほどは長くない。
ハプスブルグ家も、ブルボン家も、その起源はたかだか13〜14世紀である。
現存する、いや、かつて存在した全ての家系の中で、一番歴史の長いのは日本の天皇家であろう。


日本国憲法の第1章、第1条は以下のような条文である。


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 第1条
 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
 この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
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「日本」という「国家」はどこにも存在しない、共同幻想である。


例えば「日本語」も地域によって方言があるし、もっと厳密に言うと、
個人によってヴォキャブラリーや、声の高さや発音が異なるのだから、
全ての日本人に共通の「日本語」というのはどこにも存在しない。
日本人が1億人居るなら、1億種類の日本語が存在するのである。


「日本円」だって地域や所有者によって価値が異なるのは自明のことであるし、
国土、法律、政府、文化、芸術、気候、風土・・・
いずれをとっても輪郭はボンヤリとしており、そのどれもが「日本」そのものを示すものではない。


そのボンヤリとした国家を、また国民統合を象徴するのが「天皇」、という訳である。


僕は天皇の戦争責任や、天皇制存続の是非については論じることが出来ない。
だが、いくら国体が変わっても存在し続ける天皇家が、
日本人の心の奥深くに存在しているということは疑う余地が無いだろう。


家畜人ヤプー」はそれに一石を投じ、後年、天皇主義者となった三島由紀夫は、
「以前は絶賛していたが、評価できなくなった」と呟く。
「戦後最大の奇書」は、日本国の、天皇制の続く限り、日本人に衝撃を与え続けるであろう。