ラーメン構造の小説と、トラス構造の小説。

島田雅彦「天国が降ってくる」1985

天国が降ってくる (講談社文芸文庫)

天国が降ってくる (講談社文芸文庫)

島田雅彦は、「天国が降ってくる」のあとがきで、
女子高校生から以下のような手紙を貰ったと書いている。

赤川次郎村上春樹のファンは堂々と大手を振って歩いているのに、
島田サンのファンは電車の中で本も広げられず、迫害されています。
でも、いいんです。
島田サンの本を読むのは、プチブルの秘かな愉しみなんですから。

確かに、島田雅彦のファンは日陰者である。
僕の周りでも島田雅彦を読んだことがある人は、数える位しか居ない。
きっと隠れているからなんだろう。


同じ「天国が降ってくる」のあとがきの中で、島田雅彦は書いている。

私は自分の作品がなぜ村上氏の作品ほどポピュラーにならないかを考えてみる。
例えば、彼はサンドイッチのつくり方にこだわる。
一方、私は主人公とサンドイッチの類似点を探す。
また、彼は女の子が何気なく呟く言葉に人生の意味を読み取るが、
私は道端に落ちているアイスクリームに人生の意味を読み取る。

超売れっ子作家に対する嫉妬を隠さないところが微笑ましい。
つまりは、「自分が島田雅彦であること」が、村上氏とは違うと言いたいのだ。


僕が思うに、村上春樹の作品がラーメン(骨組)構造ならば、島田雅彦の作品はトラス(三角)構造だろう。


村上作品では、例えば「ノルウェイの森」で言うと、[ワタナベ]-[直子]の関係に、更に、
[直子の中のワタナベ]-[ワタナベの中の直子]の関係が加わり、その四角形が骨組となって、物語が組み立っていく。


そこに例えば、[緑]や、[突撃隊]、[永沢さん]、[レイコさん]が加わっても、
[ワタナベ]達と三角関係を形成することはない。


その一方、島田作品の登場人物たちは、いつも「三角関係」を結んでいる。
[真理男]-[妙子]-[榊]、[真理男]-[りりか]-[ゴーシャ]、あるいは[真理男]-[母]-[父]。
真理男は常に周りの人間と「三角関係」として関わり、その架空の楼閣をトラス構造で作り上げる。


トラス構造とは、自由に回転するピン接合で出来た、三角形が基本となっている構造だ。
そうして出来ている建造物は、自由で、シンプル、どこまでも広がっていくようなファザードを持ちながら、
いびつで、不便で、息苦しい内部を持っているのだ。