人間を幸福に導くのは悪徳だけである。

マルキ・ド・サド澁澤龍彦訳「悪徳の栄え」(1797)

悪徳の栄え (1960年)

悪徳の栄え (1960年)

「サディスト」という言葉の語源として有名な、18世紀フランスの作家、
ドナチアン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド、通称マルキ・ド・サド(サド侯爵)の代表的な作品。


本当は全6冊の大作なのだが、僕が読んだのは完訳版ではなく、抄訳版。
なぜなら、完訳版は発禁処分を受けたからだ。
澁澤は「悪徳の栄え・続」を翻訳出版した際に、発行人ともども猥褻文書販売および同所持の容疑で起訴され、
(通称「サド裁判」)、最高裁まで争われた結果敗訴し、出版差し押さえとなった。


これほどの哲学書が猥褻文書として発禁処分になるというだけでも噴飯物であるが、
いずれにせよ翻訳者の澁澤は、7万円の罰金刑で済んだ。
一方、書いた本人であるマルキ・ド・サドは、その筆禍で一生の大半を獄中で過ごしたのだ。


キリスト教的な世界観が支配的だった18世紀という時代背景もあるが、
この作品がどれだけ反社会的で、淫らで、恐ろしい破壊力を持っていたかが分かるだろう。
その表面的な行為の恐ろしさから、サドは長年に渡り不当な誤解に晒されてきた。


僕も「何読んでるの?」と聞かれて「サド」と答えたら、
嫌悪感に顔を顰められるか、「エロ本かよ!」と笑われるかのどちらかであった。
誤解はまだ解けていないようだ
(もちろんこれは僕の普段の不徳の致すところでもある)。

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■悪徳の美神・女主人公ジュリエットの物語は、生家が没落したことにより預けられた、修道院から始まる。
修道院の美しい院長デルベーヌは、修道院の殆ど全ての修道女たちをその毒牙にかけ、その純潔を奪う。
時には少女を穴倉に誘い出し、快楽の為に鞭で打ち、監禁する。
■デルベーヌの紹介で引き会わされたデュヴェルジェ夫人は、妓楼に300人の女を置いている。
13歳から、30歳までの女は全て金で売られていく。
■大泥棒ドルヴァルは、ジュリエットに盗みの快楽を教える。
盗みとは自然の作った環境に対する正しい行為であり、そこに罪悪があるなどとは信じていない。
裕福な旅人に女を世話すると言って誘い出しては、女たちにその財産を盗ませている。
■稀代の大悪人・遊蕩児ノアルスイユは、衝動の為に悪徳へと走ることを厭わない。
むしろ積極的に偽り、殴り、犯し、殺すことを無上の喜びとする。
■絶大な権力を誇る首相・サンフォンは、その権力を盾に、法律を我が物として濫用する。
二万人以上の老若男女を、有罪無罪に関わらず要塞監獄へぶち込む権力を持ち、国家の財政を誤魔化しては莫大な富を作る。
■驕慢な美しさと、高尚な精神の持ち主であるイギリス女・クレアウィル夫人は、その冷酷な頭脳で、
法律や美徳が人間を不幸にするものであると断定する。
■クレアウィルの紹介で入った「犯罪友の会」では、会員全員の夫・妻・息子・娘を共有し、互いに楽しむことが定められている。
入会に際しては、快楽が全てに優先し、法律・美徳・宗教を一切否定することを誓わされる。
■立派な一物の持ち主であるクロード神父は、ミサを唱え、懺悔を聞きながら、院長を栽尾する。
■数百種類の毒薬を調合できる女魔術師ラ・デュランは、毒殺をこそ極上の快楽としている。
ペストを大流行させ、自分たちだけ助かる薬を調合する。
■イタリアへ飛び出したジュリエットは、隠者ミンスキイと出会う。彼はその偏った嗜好から人間の肉しか食わない。
200人以上を収容できる後宮から、出来るだけ残虐な方法で殺し、その肉を味わう。
フィレンツェのレオポルド大公は、妊婦を殺すことでしか埒を上げることが出来ない。
ハレムに飼っている多くの女に自分の子供を孕ませ、あらゆる方法で母子を殺戮する。
■ドニ夫人は実母と実娘を殺し、その二人の女の血の中に、どっぷりひたってみたいと打ち明ける。
■二人の夫を毒殺したボルケーズ夫人は、街中の病院や養老院に火をつけ、すっかり焼き払う。
カソリックの最高位にあるローマ法王ピオ6世は、嬲り殺しにするための人々を地下の檻の中に飼っている。
繰る日も繰る日も、狂乱の宴会を開いてはその冒聖行為に酔い痴れる。
■大盗ブリザ・テスタは、ヨーロッパ中にその手下を置く、盗賊の頭である。
その目的は金よりむしろ、淫行と殺戮に遊興を見出していることによる。
■かつての大司祭・ヴェスポリは、狂人と交わることでしか、快楽を得ることが出来ない。
その糞に触れたり、その尻を犯したり、それを切り刻んだりしながら雄叫びをあげる。

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上記のように、「悪徳の栄え」に登場する人物は、全てがサド本人の心のうちを代弁している。
庵野監督は、エヴァの登場人物は全部自分だと言ってたな)


サドは、人間を幸福に導くのは悪徳だけである、と高らかに宣言した。
何故なら美徳が基盤にしているのは、法律という個人の幸福を制限するためにあるものである。
しかしその一方、悪徳は強い者が弱い者を虐げるという、美しい自然の法則を手本にしているのだ。


発禁にするよりむしろ、中学生の夏休み課題図書にしてはどうか。