お前は裏切り者のユダだ。

ロバート・ルイス・スティーヴンソン「ジーキル博士とハイド氏」1886

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

医学・法学の博士号を持つドクター・ジーキルは、優れた学者、誇り高い紳士として、
その富と、名誉、徳行において、社会から重んぜられる人物である。
その一方で彼は放恣な逸楽を求めて、人知れず悪行に身を委ねるという二重生活を送ってきた。


その内なる悪徳の声が求める欲望を、そのままの形で自由に解放することを必死に求めた結果、
とうとう薬品によって、己の悪の分身であるハイド氏を創造することに成功する。


おそらくこの「ジキルとハイド」は、世界一有名な二重人格譚であろう。
「二重人格を扱った作品の元祖」だとも言われている。



その後も二重人格を扱った作品は雨後の筍のように現れる。
ヒッチコックの「サイコ」や、「ファイトクラブ」、「ボーン・アイデンティティー」シリーズ、
あるいは「聖闘士星矢」のジェミニ、「ドラゴンボール」の孫悟空(二重人格って言うか猿になる)、
ジョジョ」のドッピオ、エトセトラエトセトラ。
ミステリーでも、「犯人は主人公のもうひとつの人格」というオチがあまりにも多い。


これだけ多くの「二重人格モノ」が作られたのは、それが多くの人に共通の恐怖だからである。
人間の意識には、自分の理性が及ばない範囲がある。
その無明の領域で、自分がいったい何をしているのか知れたものではないのだ。


この恐怖は根源的な人間の恐怖である。
当然、「ジキルとハイド」以前にだって、二重人格を扱った作品は沢山あったのだ。


例えば新薬聖書。
ユダは、イエスの教えの美しさに心から敬意を示しながら、
その一方で自分が嫌われているという思いからイエスを裏切り、密告する。


聖書を「作品」だなんて言ったら、熱心なクリスチャンには怒られちゃうかもしれないけど、
これだけ多くの人に読まれたベストセラー/ロングセラーは無い。
聖書を読んだ人はみな、イエスよりもユダに共感して、恐怖する。
人が「お前は裏切り者のユダだ!」と言われて怒るのは、それが図星だからだ。



ジーキル博士が、自らの闇の部分を解放しようと必死になっていたのは、
彼の精神が特別に下劣であったからではない。
むしろ、彼の理想の高邁で、道徳によるくびきが厳しかったことによるのである。


特に唯一絶対神を信じる欧米・中東諸国では、
自分の中にある「善」と「悪」を分けて考える傾向がある。


絶対的な善を持ち、穢れ無き無垢の存在である神と、
その誘惑を断ち切れず、どうしても悪徳に溺れてしまう自分。


傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲。
人間はそれらの誘惑に必ず負ける。
負けるからこそ人間であるのだが、その罪悪感からは抜け出すことは容易ではない。
誰もが心にハイド氏を飼っているのだ。