ボランティアの恋愛。ビジネスの恋愛。

チャールズ・ディケンズ「クリスマス・カロル」1843

クリスマス・カロル (新潮文庫)

クリスマス・カロル (新潮文庫)

ケチで冷酷で人間嫌いの老人スクルージが、クリスマスの幽霊に出会い、
過去・現在・未来のクリスマスの風景や、自分の将来を見せられて、やがて心を入れ替える・・・という物語。


徹底的な性善説の立場に立ち、特にクリスマスの時期の心暖かな人間の機微や、
ささやかなご馳走や、楽しげな民家や市場の情景を書いた、愛情溢れた作品である。


本棚に積んであったので、せっかくこの時期だから・・・と読んでみたが、
どうやら今ディズニー映画になって公開されているようだ。



物語の冒頭、スクルージがどれほどケチで冷酷な人間かを示すために、
貧しい人々のために寄付を求めに来たボランティアの紳士を追い返す、というシーンがある。


金持ちのスクルージに対して、紳士は
「現在、非常に難渋している貧困者や身寄の無い者たちの生活を、
 我々がいくぶんなりとも助けることは、平生よりもいっそう必要だと思います」
と言って、寄付を求める。


それに対して、スクルージは、「監獄も、救貧院もある」と答える。
自分は金持ちで税金を多く払っているのだから、食えないヤツはそちらにいけばいい、と言うのだ。


紳士は、それらの施設は入りきれない位にいっぱいになっているし、入りたがらない人も居る、と答える。
スクルージ曰く「死にたい奴らは死なせたらいいさ」。


ここで「嗚呼、スクルージという男は、なんてヒドイ男なんだ・・・」となる訳だが、
これに関しては、完全にスクルージに理がある。



渋谷や新宿で、一日中「アフリカの恵まれない子に愛の手を!」と寄付を募る大人たちが居る。
しかし、そんなことをせずに一日中働いたとしたら、より多くの稼ぎが得られるのではないだろうか?
恵まれない子に愛の手を指し伸ばしたいと、心から思っているのなら、
その給金を丸ごと寄付する方が効率的なのだ。


あるいは、彼らの目的はお金ではなく、道行く人々に公共心を芽生えさせることか?
はたまた、「貧しい人のために頑張ってるボク」をアピールするため?
「アフリカの」恵まれない子供たちに救いを求めている、その同じ口が、
公園で生活しているホームレスに「不潔な無法者を追い出せ!」と締め出し、
職が無く喘いでいる若者たちを「ニートは甘えだ!怠け者だ!」と糾弾する。


アフリカの子供たちを見殺しにしろ、と言いたい訳ではないが、
すぐ目の前で困窮している人たちを助けの手が差し伸ばせない者に、正義を語る資格は無い。


彼ら気まぐれなボランティアが求めているのは、世界平和でも、貧困の根絶でもない。
「自分はイノセント(無罪/無垢)である」という免罪符である。


恒久的に貧困者の世話を見るという気概があるのならともかく、
「クリスマスの時期だから」というような無責任は、もはや有害でさえある。
普段は働いている低所得労働者に対し、
「この時期は働くよりも恵んで貰う方が得だ」と思わせてしまうからだ。


心からの善意でボランティアに身を投じている人に対して、 面と向かって「有害だ」、「偽善だ」と言うのは、相当に難しい。
しかし「金儲けは悪であり、ボランティア活動は非営利的な活動だから崇高である」というのは幻想である。


ボランティア活動が行われると、その人の本職での労働時間が削られることになるので、税収が減る。
更に有料で同じサービスを提供していた業者を駆逐することになるので、失業者が増える。
行政は失業対策の為に、多くの税金を無駄にする。


ボランティアというのは、非営利であるが故に、素人集団の活動である。
その定義からも、本職の業者よりも効率が悪いことは明らかである。


つまりはボランティアが行われることによって、生産性は下がり、税収は低下し、失業者が増えるのだ。
慣れないボランティアに精を出すよりも、自分の本職に専念し、
より多くの税金を納めた方が効率的であるということになる。


累進課税制度が完備されていれば、所得の多い人ほど多くの税金を納めることになる。
貧しい者への施しをするのは、富める者の責務だというのなら、
曖昧な公共心に訴えるよりも、その税制が正しく運用されていることを確認すべきなのだ。


もちろん、税金を納めていればそれでいいということにはならない。
せっかく税金を納めても、官僚や政治家が着服して、本来必要としている困っている人にお金が行き渡らないという可能性があるからだ。
特に宰相自らが脱税を行っているような国では絶望的だ。


僕らが行うべき、ただ二つのボランティアは、国家権力を監視する行動と、自分の意思を反映させる投票行動である。



さて、ことここ日本に於いては、殆どのボランティア活動が崩壊し、あらゆることを「プロに任せるべき」という方向に進んでいる。


出産、育児、就職、引越し、結婚、老人介護、葬式・・・。
それら人生における重要行事と言われているものは全て、かつては、家族、親戚、ご近所さんなどのお世話、
つまりは、ボランティアによって行われるのが当然であった。


現在、これらは全て、プロの業者に任され、ビジネスとして扱われるのが主流になっている。


そうなると、これは当然の帰結なのだが、そう遠くない将来、この国の全ての「恋愛」はビジネスと化すであろう。
恋愛ビジネスを営む者にとって、クリスマスほどの稼ぎ時があろうか?


皆様、良いクリスマスを。